第四巻 解説
佐藤忠男(映画評論家・日本映画学校校長)
 山本早苗の作画による「動物村の大騒動」という傑作があって、これが製作年代不明となっているが、おそらくは1942年の「子宝行進曲」という作品がどこかで改題されたものであろう。当時はアニメーション映画は官庁などの社会教育用に作られることが多かったが、戦争中に政府が積極的にすすめていた政策のひとつに、人口増加を目指した「生めよふやせよ」というものがあり、それを担当していた厚生省あたりがスポンサーになって作られたものかと私は推測する。山の猿たちの話になっているが、子どもはたくさんいるほどいいという内容になっているからである。
 そんなわけでこの映画は子どものたくさんいる猿の一家を描いており、その猿たちがみんなでいっせいに動きまわるという場面が多いし映画としてもそこが面白い。しかし言うまでもないがこれはアニメーションとしてはたいへんに手がかかる場面である。太平洋戦争の真最中の1942年、昭和17年に、よくこういう手間のかかる仕事をやっていたものだと感心する。この時代のアニメーションのスタジオは、アニメーターたちがつぎつぎに召集を受けて戦場に持ってゆかれるために人材の不足に悩んでいたはずである。
 山本早苗は日本のアニメーションの開拓者たちのひとりだった北山清太郎の助手として1918年からこの道で働いており、1925年には山本映画制作所を設立して主に官庁の受注作品や昔話ものを作ってきた。昔話は第一巻に「日本一桃太郎」が入っている。戦争中の時代をこういう全力投球の仕事でがんばったあとで、戦後には中小零細なプロダクションに分かれていたアニメの人々を合同させて日動映画社長となり、さらには日本で最初の本格的なアニメーション・スタジオと言える東映動画が1956年に立ちあがるときにその中心人物のひとりになった。
 この巻に「泳げや泳げ」(1939年)が収められており、第二巻には「鼠の留守番」(1931年)と「證城寺の狸囃子」(製作年不明)が収められている大石郁(大石郁雄)はPCLと初期の東宝で漫画映画の責任者だった人である。戦争中、東宝は軍の注文で爆撃機の乗組員に爆撃の要領をアニメーションの絵画で教える作品などをたくさん作ったが、その仕事を指導し、そのための調査で南方に出張して戦死した。